■神戸城(かんべじょう) :史跡
伊勢平氏の子孫関氏の一族 神戸氏は、南北朝時代(14世紀)飯野寺家町の
地に沢城を築いたが、戦国時代の1550年代には、現在の鈴鹿市神戸に神戸城を
築いて移った。
神戸氏7代目友盛は、北西に威を振るったが織田信長軍の侵攻により永禄11年
(1568年)に織田信長の三男:信孝を養子に迎えて和睦した。
信孝は天正8年(1580年)ここに金箔の瓦を用いた五重の天守閣を築いた。
しかし、本能寺の変後、岐阜城に移り、翌年 豊臣秀吉と対立して知多半島
で自刃し、文禄4年(1595年)には天守閣も桑名城に移され、江戸時代を通して
天守閣は作られず石垣だけが残された。
江戸時代、城主は一柳直盛(ひとやなぎ)、石川氏三代を経て享保17年(1732年)
本多忠統(ほんだただむね)が入国する。
本多氏の治世は140年間 七代忠貫(ただつら)まで続き、明治年(1875年)
城は解体される。
その後堀は埋められ城跡は神戸高校の敷地となった。
天守台や石垣に悲運の武将を偲ぶことができる
以上:史跡の看板(H14年3月 鈴鹿市教育委員会) より
現在、神戸公園として整備されています。
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