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伊勢亀山城 二の丸跡付近

鈴鹿市のお隣 亀山市にある 伊勢亀山城

 ここは、古くから交通の要衝として 重要な地域だったんですね。

 昭和の時代には、JR亀山駅がターミナル駅として重要な役割をしていたそうです。
新幹線開通してからは 東京-大阪間が短くなったためにその役割を終えてしまいましたが。


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亀山城二の丸跡(かめやまじょうにのまるあと)
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亀山市教育委員会のたてたカンバンより引用

亀山城内最大の曲輪(くるわ)で、現在の亀山西小学校・亀山市役所の付近一帯が二の丸にあたります。
本丸は将軍の旅館として整備された経緯もあって、二の丸が城主の居館であるとともに亀山藩の政庁である 居屋敷(いやしき)(御殿)とその別棟である「向屋敷(むかいやしき)」が置かれました。

亀山城内の中で最も建造物が多く、御殿のほかに外周には三階櫓である太鼓櫓(たいこやぐら)、二階櫓である神戸櫓(かんべやぐら)・向屋敷櫓(むかいやしきやぐら)・石坂脇櫓(いしざかわきやぐら) 平櫓である二の丸北櫓(にのまるきたやぐら)が建ちらなんでいました。

また、西の丸からは石坂門、三の丸からは太鼓門(たいこもん)でつながり、それぞれに門櫓をもつ枡形(ますがた)が設けられていました。二の丸の南北にある帯曲輪(おびくるわ)には、埋門(うずみもん)から出入りしました。 なお、二つの御殿には、馬場がもうけられていました。
 居屋敷は、古写真が残る文久二年(1862年)段階のもので 建坪665坪(約2195平方メートル)ありこれに土蔵や長屋などが附帯していました。
この御殿は明治四年(1871年)に取り壊されましたが、式台(しきだい)と大書院(だいしょいん)が西町遍照寺本堂として移築現存しています。

また学校改築事業に伴い平成15・16年度に発掘調査が行われ、室町時代後期からこの場所に城が構えられていることと、御殿が少なくとも三回の建て替えがあったことが確認されています。


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 この二の丸跡は大部分が小学校の敷地にあります。
 小学校の周辺に復元された帯曲輪(くるわ)や 櫓のあった位置に立て看板が設置してあります。


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