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【読書】メイカーズ 21世紀の産業革命が始まる クリスアンダーソン:著/関美和:訳を読んで

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メイカーズ 21世紀の産業革命が始まる
THE NEW INDUSTRIAL REVOLUTION

ロングテール。フリー。などの著者、クリスアンダーソンの著作。


誰もが、メイカー=創り手 生産者になる。

プロッターでカッティングやプリントがパソコンとソフトウェアがあればカンタンに実現出来るようになったことと同じような事が、モノ創りにも拡がると著者は言う。

 

誰もが、3Dプリンターなどの電子データから何かを創ることが出来るツールを持つような時代に、
電子書籍同様に 生産品ではなく、データを買うことになるのかな?
発展の最中には、データのダウンロードセンターみたいなものでも充分にアクセスを集めるだろうか?

 

スプリンクラーを例にした著者の実例から分かるのは、既存の会社が、自分を守る為には、自らを破壊するやり方であっても進むしかなさそうだ
自ら行動すれば、痛みは伴うが生き残る。
しなければ、誰かにとって変わられそうだ

新たな産業組織のモデルだ。それは「ゆるやかに結び付いた小さな部分」の周辺に築かれる。
会社はより小規模に、バーチャルに、カジュアルになる。
参加者の大部分は社員ではない、彼らは。。。省略

 

今後。 何が、求められるだろうか?

 クリエイティブな才能がある人=(モノ/サービスなどの)生産者には、過去には得られなかったチカラ=パワーが得られるような気がする。

 才能やアイデアがあるだけでは実現出来なかった事が、コンピュータとネットワークによって何倍にも何万倍にも増大する。そこから生まれたモノやサービスは成長速度がとても速く、そして大きくなりそう。=お金を生み出す人の側

一方で、消費者というべきか?
モノやサービスを購入し消費するだけの人=お金を払う人の側


 この両者が、明確に分離していきそうな未来にならないかな?

 

 20世紀には、才能があるだけではダメで多くの協力者や協力してくれる企業が必要で
会社/生産設備なども含めた多くの小さいけれど、誰かの為に役にたつ仕事があったから
消費者でもあるが、生産者でもあることが出来た。
 だから、多くの中流家庭が生まれて沢山の幸せも生まれたんだろうと思う。


 それが、コンピュータとネットワークのチカラで出来る人のチカラが増大するのは良い事だけど。。。

 そのような創造性がない人間には、厳しい試練が待ち受けていそうな気がする。

コツコツ地道にやる能力があるだけでは、
生産者になり安定的に十分な報酬をもらうのが難しい時代になっていくのかな? 
 それとも、すでになっていると言えるのかな?

 日本でも、中流というのがなくなって来ているという情報をよく目にするからなぁ〜


誰もが、アイデアの豊富で、想像性豊かな人間だといいんだけれど。。。

 救いは、才能があれば豊かになれる可能性があるということだろうか?

しかし、そのためにはすべての人が、人生の初期=義務教育を終了するまでの間
豊かな家庭の子供と、なんら変わりない教育を受けられる環境にあるかどうか?
が重要かもなぁ?

 家庭環境に左右されない、豊かな教育環境。
これがあれば、能力を開花させることが出来るのに、
その環境は、今の日本にはないものね。

誰もが、子供時代に無料で潤沢の教育を受ける機会が日本で整えば、
この本に書かれている未来に、日本は世界でズバ抜けた存在になっていると思うんだけどなぁ

 どんな未来になっているのだろう?

 未来にまた、見て考えよう♪♪

 
 そもそも、翻訳された本しか読めない自分はイタダケナイ状態だと、この本を読んでいるとつくづく思う(^^; 
 世界中の人の知恵やアイデアと市場。

 日本だけの知恵やアイデアと市場では

まったく、規模が違いすぎて話にならない。。。。 

 

たにがわ

 

2/13追加ここから

 

 先日読んだメイカーズを読んだことでうだうだと考えた事。


本であれば、出版社はデータだけを販売する方法はデキナイか?

本を求めに来たお客さんの求めに応じて、本屋さん。または、なんらかのショップで一分も待つ事無く、データから製造し製本した状態で渡すことが出来たらどうだろう?

”南米の大河と名前のお店”に在庫する必要もなく、
配送にかかる費用も本当に発生せず
本当に無限大の書籍を取扱いできる窓口があればどうなるだろう?

 あらかじめ製本したものを売るモデルでは成り立たない出版/本の流通でも
ちゃんと利益を出す事がデキナイだろうか?

 電子書籍があったとしても、自分のように製本された本の方が読みやすい/親しみやすい人間は、まだまだいるんじゃないだろうか?


だめかな?