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犬がいた季節 本屋大賞2021年 3位

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先日読んでいながら、連チャンで2回目読んだ小説 本屋大賞2021年 3位の「犬がいた季節」。
その中に出てきた文章を読んで思うこと。

 

人前で披露できるほど楽器が弾ける。それは長年、子供に音楽を習わせられるほど余裕がある家で育った証。

 

 

 ほんの少しの文章で鼻の奥がツーンとする。

 小説家というのは、感性豊かな人で、なおかつそれを文章にすることができる人間しかなれないと思うけれど。


 圧倒的な(生活レベルの)差を認識する出来事にであった経験、

「別にやりたくもない」とあきらめることでしか解消出来ない子供の心情。

そんなことを経験しなくても想像で書けるものなんだろうか?

 小説家になれるような人は、

全く経験していない事でも物語を書いている人物になりきってその心情を表現できるのだろうか?

 すべて経験するのは不可能だからやっぱり経験しなくても書けるのかもなぁ

 楽器の演奏も、スポーツも同様に

物心ついた時にはすでに出来る子。

例えば、学校で水泳の授業がはじまったころには(水泳教室へ通っていたから)すでにスイスイ泳げる子。

 ラケットなどの用具やユニフォームなどが最低限必要なスポーツでも、

それらの購入ができる家庭の子供にしか出来ないもの。

 

 余裕のない家で大人が言う言葉は、
最も必要な勉強でさえ、勉強なんて出来たってダメなやつはいっぱいいるなどという訳のわからん屁理屈を耳にしてそれさえもお金がかけられることはない。

 

 余裕のない家に育つというのは、

大切なものを大切だと気がつける環境にないんだなぁと改めて考える。

 

 もちろん、

スタート地点が遅くても、

才能があり自力で楽器を弾けるようになる人。

スポーツがうまくなる人はいるのは承知の上ですが。

 

 この文章を見て、余裕のある家庭に生まれる運がないというのは

つらい事だよなとあらためて思う。

 

 それでも、自分なりのベストで生きていくしかないけれど。